古代印度木版更紗

木版更紗

 更紗とは一般的な定義では、唐草文、樹木文、ペイズリー文、人物文、動物文などを表す模様染めの布地にあたるものが呼ばれております。
 その起源は、古代インドを発祥の地とする木版更紗に始まると言われており、シルクロード等を経て世界各地に伝わり場所によってはバティック、プリンテッドコットンなどと呼ばれ日本では更紗と呼ばれるようになり様々な染色品が生まれていくことになります。

 青銅器時代に栄えたモヘンジョダロ、ハラパーをはじめ古代遺跡から発見、発掘されている染織更紗は、インド発祥に紀元前2000年前から1000年前後にオリエント、中国、エジプト、トルコに伝播されました。
 日本へ伝えられた更紗では、室町時代中ごろ勘合船による中国(明)との貿易により渡来したと言われており、慶長3(1598)年、鍋島藩主の鍋島直茂が朝鮮から日本へ連れ帰ったとされる九山道清(くやまどうせい)より創始された「鍋島更紗」が制作されており、後の友禅技法に影響を及ぼしたとされ、また江戸時代後期から日本の各地に広がり天草更紗、長崎更紗、堺更紗、京更紗、江戸更紗などそれぞれの土地で独自の更紗が進化し知られるところとなります。

川端美朝作品では染色の原点を追求

 更紗の原点とされる古代インド更紗は木版による染色でした。
その木版更紗に取り組み、古代の文様の版木を10年以上かけ収集し、作品に用いております。版木は植物や鳥などの文様を細かく掘り込んだもので、生地に模様を染めるために使用し、その月日、染料を吸い続けた版木が美しさを生み出します。

 古代印度木版更紗づくりは、木版を使い分けて配置を決め、柄合わせをし、一部を手描き染色することから始めます。
版木に顔料をつけ絵柄に切れ目のないように幾度となく手で布面に押し写し、重ねて色をつけていく制作行程は、一反の着物を作るのに800〜1000回程度です。そのときに出来る顔料の濃淡や色のたまり、また版木のズレが木版ならではの面白みになります。
染料で染める「引染」、染料を固定させる「蒸し」、蒸気を布にあてて生地の状態を状態を整える「湯のし」の作業行程を辿ります。

 染色の原点を追求した、古代印度木版更紗の染めの持ち味をお楽しみ頂きたいと存じます。